映画「明日の記憶」ラストシーンの意味を考察!認知症・夫婦の介護問題について | 子なし夫婦の楽しい生活

映画「明日の記憶」ラストシーンの意味を考察!認知症・夫婦の介護問題について

映画「明日の記憶」ラストの意味を考察!認知症・夫婦の介護問題について レビュー
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この記事では、映画明日の記憶のラスト・シーン(結末)の意味について考察したいと思います。

この映画は16年以上前に公開された映画ですが、ラストが感動的だと話題になりました。また結末のシーンの意味の解釈が今も人によって分かれています。

 

映画『明日の記憶』とはどんな映画かというと
↓↓

40代後半の夫婦。夫が若年性アルツハイマーになり、徐々に記憶が失われていく。それを支えて行く妻。

2006年に劇場公開され、俳優の渡辺謙(わたなべけん)さんと女優の樋口可南子(ひぐちかなこ)さんが夫婦役を演じました。

 

主人公夫婦と年代の近い私達夫婦ですが、もしも同じように夫がアルツハイマー病になったら?と考えると、身につまされるような思いがしました。

 

このブログは、私と同じように40代以降の子なしの女性や、子供が独立された方が見てくださっているかと思います。

既にこの映画を見て、結末の意味につい「他の人はどう解釈しているのかな?」と気になってる人や、この映画に興味関心がある人・「見ようかな?」と迷ってる人に向けてお伝えしたいと思います。

 

前置きが長くなりましたが、この記事はこの順番でお伝えしていきます。

・映画『明日の記憶』のラスト・シーン(結末)の概要
・映画『明日の記憶』のラスト・シーン(結末)の意味を考察
・映画『明日の記憶』の感想レビュー
・映画『明日の記憶』の作品情報(概要・キャストほか)

 

映画 明日の記憶のラストシーン

 

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映画「明日の記憶」のラストは、

アルツハイマー型認知症が進んだ主人公が、焼き物をした帰りに心配して探しに来た妻と会うシーンで始まります。

 

 

「あなた」と声をかる妻に、夫は妻をしげしげと見た後に「どうしました?」「大丈夫ですか?」と答えます。

 

もはや自分を「妻」と認識してくれない夫に対し、妻は一瞬息を飲み、みるみるうちに目が涙で赤くなって行きます。

それでも妻は、最後にほほえみながら「うん、うん」と小さくうなづき、夫の後について歩き出します。

そして、

2人は一緒につり橋を渡ります。

 

これが映画「明日の記憶」の感動のラストシーンです。

 

ラストシーンはピースサイン?

実は「明日の記憶」にはこの続きがちょっとあって、結末が異なるものがあるようです。

私が観たのは、つり橋を渡って、グループホームに入所する
シーンがあり、主人公が後ろを振り向かず、奥さんに
ピースサインを出すところで・・・END でした。

Yahoo知恵袋より引用

 

私はこのバージョンは見たことはありません。

 

DVDや現在時々放送される映画も、ラストは「つり橋で渡るところで終わり」というものがほとんどだと思います。

もしかしたらこの部分はカットされたのかもしれませんね。

 

今回の考察では、「つり橋を渡るシーン」までにしたいと思います。

 

映画 明日の記憶のラストシーンの意味を考察

「明日の記憶」のラストで、アルツハイマーの症状が進行した夫が、「妻」を認識しない様子が描かれています。

これには3つの解釈が成り立つと思います。

①夫は本当に妻のことを(顔も名前も)忘れてしまった。
②夫は妻のことを忘れたフリ(演技)をした。
③夫は妻の顔を忘れてしまったが妻の名前は覚えていた。

 

この3つの解釈について簡単に説明します。

 

①夫は本当に妻のことを何もかも忘れてしまった。

映画で描かれたそのままの解釈で、主人公である夫が「完全に何もかも忘れてしまった」ということを表すための意味合いがあるというものです。

つまり、「アルツハイマー型認知症」が進行したということを視聴者にわからせるものです。

 

②夫は妻のことを忘れたフリ(演技)をした。

実は「夫が妻を認識していないフリ」をしているという解釈もできます。

夫は、妻がためらいなく自分(夫)を介護施設に入れることができるようにするめ、忘れたフリをする=「配慮」の意味合いを出すものです。

 

夫が持っていた素焼きのコップ(夫が焼いたもの)には妻の名前が彫られています。

だから、夫は本当は覚えているのではないか?という解釈です。

 

③夫は妻の顔を忘れてしまったが妻の名前は覚えていた。

妻の顔を忘れてしまったが、妻の名前は覚えていた」ということを描いていたという解釈も成り立つかもしれません。

つまり、自分の妻の名前を覚えてはいるけれども、道であった妻を「妻」として認識していないという意味です。

 

ただこれだと、夫が言った言葉(「枝実子さんかぁ..いい名前だな」 )がちょっと不自然ですね。

妻と同じ名前の女性に会ったら、「うちの妻と同じ名前だ!」ってまず最初に言ってから「いい名前だな」って言いそうですよね。

 

そう考えると、映画「明日の記憶」のラストの意味は

①夫は本当に妻のことを(顔も名前も)忘れてしまった。
②夫は妻のことを忘れたフリ(演技)をした。

このどちらかではないかと思います。

 

先程紹介した別のパターンの「ラストシーン」であれば(最後に主人公がグループホームに入所して奥さんに後ろ向きでピースサインを出す)、「②」の解釈であれば、自然ですね。

 

映画 明日の記憶の感想レビュー

映画「明日の記憶」を見た私の感想についても少しだけお話したいと思います。

この作品を見て主に次の3つの感想を持ちました。

①老後に誰にでも起きうるアルツハイマー認知症の問題について考えるいい機会だった

②自分がアルツハイマーになったら?夫がアルツハイマーになったら?と考えさせられた

③介護するためにもっと自分の収入を増やしたいと思った

 

この映画を見た時に、「考えるべき時が来た」と感じました。

「認知症になったらどうしたらいいのだろう?」と、これまで真剣に考えてこなかったことに気付かされました。

そして、

A:私がアルツハイマーになった場合
B:夫がアルツハイマーになった場合

これもそれぞれ対策が異なるということに、今更ながら気づきました。

 

誰かに介護してもらった方がいいのか、またその場合誰にしてもらえるのか、そういった機関など調べようと思います。

 

夫がアルツハイマーになった場合には、当然私が面倒を見るわけですが、自分が病気した場合にはどうするのか?ということも考えなくてはなりません。

 

そして一番考えさせられたことは、もし夫がアルツハイマーになったら、認知症介護もしてパートもして….なんてやっていけるのかな?ということです。

映画では、妻の枝実子は昔のスキルを生かして外で働くようになります。それでも夫の介護との両立は大変そうです。

 

子供がいれば、子供にヘルプを求めることができるからメリットかもしれませんね。

 

このあたりのことは、「子なし夫婦」の場合は若いうちから考えておくことが必要だと思いました。

 

映画 明日の記憶の作品情報

最後に映画「明日の記憶」の作品情報をお伝えします。

製作年:2006年 (日本)
劇場公開:2006年5月13日
上映時間:122分
配給:東映
監督:堤幸彦

 

映画「明日の記憶」の原作は、小説家・荻原浩氏の同名の小説(「明日の記憶」)です。

映画は2007年に「日本アカデミー賞」を受賞しています。

 

概要とキャスト

「明日の記憶」概要

広告代理店で部長としてバリバリ働く雅行は49歳。ある日体調不良を感じて病院を受診したところ、若年性アルツハイマーとの診断を受けます。そのことで左遷され最後には希望退職を強いられます。

それがきっかけで妻の枝実子はパートを始めることはなります。

最初は平穏な日々が続いているのですが、着実に病魔は迫ってきて、雅行も枝実子ももがき苦しみます。

最初の頃はちょっとした物忘れ(ウッカリ忘れ)だったのですが、雅行は最後には妻のことも忘れてしまうのです。

しかし妻のは枝実子はそんな夫を受け入れ、一緒に手を取って歩いていきます。

 

▶キャスト◀
佐伯雅行 役:渡辺謙
佐伯枝実子 役:樋口可南子
伊東直也 役:坂口憲二
佐伯梨恵 役:吹石一恵
生野啓子 役:水川あさみ

 

まとめ

この記事では、次の4点に絞ってお伝えしました。

・映画「明日の記憶」のラストシーン
・映画「明日の記憶」のラストの意味の考察
・映画「明日の記憶」を見ての感想レビュー
・映画「明日の記憶」作品情報(概要・キャストほか)

 

この映画は、40代後半〜アラフィフ以降の子なし夫婦や、子供はいても既に独立して2人暮らしの夫婦には、いずれ突きつけられるかもしれない現実が描かれています。

見ておいて損はない作品だと思います。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

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